山の都『甲府』開府500年を迎えて〜私たちが住む甲府という土地の、過去と未来。

2019年7月7日

令和元年6月

こうふ未来代表 廣瀬集一

はじめに

会派「こうふ未来」は令和元年5月1日に設立されました。

甲府市議会会派「こうふ未来」

 

創設の4名の議員で話し合い、設立の趣旨を以下の文章にまとめました。

「中核市となった甲府市には、2,500以上の権限が委譲されました。二元代表制の地方自治の下、政策的提言及び議会内における議論を活発にして、自治体経営を持続可能にしていくために行動していこうとする会派です。人口減少という難局に立ち向かい、住民にとって「住み続けたいと思えるまち」となり、住民福祉の向上を目指していくためには、未来志向型の政策的価値判断が求められます。このような思いの下、政策的議論を通じて、中核市にふさわしい議会づくりを目指して会派「こうふ未来」を設立しました」

綱領として、地方自治の本旨を尊重した議会運営、住民の参画と協働をより確固とする行動、住民の意思を尊重し議会における意思決定に反映させるなど、中核市にふさわしい議会創りに行動するとしました。

今後とも、よろしくお願いたします。

 

※この記事は2019年6月に開かれた甲府市議会の一般質問にて廣瀬代表が行った質問を基に作成したものです。

 

こうふ開府500年記念誌「こうふ歴史ものがたり」を読み解く

「過去に学ぶ」「現在(いま)を見つめる」「未来につなぐ」を基本理念とする「こうふ開府500年記念事業」が平成28年度から令和3年度までの6年間で行われています。この節目の年を全市民でお祝いするとともに、甲府の魅力を再発見し、郷土甲府への愛着と誇りを持って新たな時代を作り出していく契機となるよう、多彩な事業が計画・展開されています。

さて私たちは、これらの事業の中に「過去に、どのようなことを、学び」「現在を、どのように、見つめ」「未来に、何をどのようにして、つないでいく」のか思いを巡らせながら、はなしを進めていきたいと思います。

まず生活の舞台「甲府盆地」は、3つの国立公園と1つの国定公園に囲まれた日本列島の真ん中にある、日本最大級のハート型をした盆地です。4月13日放送のNHKテレビ「ブラタモリ」では、「ミラクル盆地」と称していました。世界文化遺産登録となった富士山と南アルプスユネスコエコパークがあり、甲武信ユネスコエコパークは本年5月17日にユネスコ諮問機関が登録を勧告し、6月17~21日まで開催されているパリの国際会議で、国内10番目の地域として、19日に登録されました。

三大プレートが接合してせめぎ合う大自然に囲まれた甲府盆地の可能性は、世界に唯一無二の景観を創り出していることです。

甲府市域に人々が暮らし始めたのは、2万数千年前の旧石器時代とされ、縄文時代、弥生時代も人々が住み続けていました。多くの古墳を残した時代を過ぎ、平安時代末頃に、甲斐源氏が台頭することとなります。その後広島県の安芸の守護を務めていた「武田信武」とその子孫が甲斐守護を務め、やがて信虎の時代を迎えます。

武田信虎は、永正16年(1519年)12月に甲府相川扇状地に甲斐の新府中として甲府城下町建設を始めました。有力豪族の居住を命じ、八日市場や三日市場などの商業拠点を設けて新府中の発展と繁栄を政策的に計画していきました。1523年には要害城と湯村山城を築いて甲府の防衛を固めるとともに、寺院・神社を創建し、守護武田氏の新たな拠点にふさわしい外観と威容を整え東国でも有数の城下町として発展してきました。

甲府は室町時代後半、安土桃山時代の戦国時代を駆け抜け、江戸時代、明治・大正・昭和時代を過ぎ、本年は平成から令和元年を迎えています。

「甲府歴史ものがたり」は、10章から構成され、それぞれのキーワードにゆかりの深い歴史をわかりやすく解説していただいています。私たちの興味関心の深い項目のページから読み解ける、歴史書となっていると思います。

「過去に学ぶ」「現在(いま)を見つめる」「未来につなぐ」の文脈に従って、10章に伴うキーワード分類から5つの質問項目を取り上げてみます。

 

  1. 自然  2.水   3. 商い  4. 教育  5. まちづくり

 

甲府歴史ものがたり
甲府歴史ものがたり

 

1. 自然

古代地球のプレート理論により創り上げられた、世界でも希な山岳風景と日本最大級の甲府盆地は、風光明媚な景色と溢れるような日差しに満ちています。

私は3月の甲府市議会の質問で、「名所指定から取残された甲府盆地と周辺をジオパークに登録しましょう」と呼びかけました。特に本年は、「名勝史跡・天然記念物制度」が発足して100年目の記念すべき年です。昇仙峡を特別名勝から日本遺産へと、登録の可能性があると思います。そして、今、甲府市と山梨県は協働して、申請を進めることとなりました。

甲府市は、東西15.3km、南北41.5km、面積212.47平方kmの南北に細長い形をしており、海抜は標高2,599mの金峰山から盆地底部の250mまで2,300m余りの高低差があります。太平洋側気候に属し、内陸気候で山岳気候に囲まれていて、中央高原型と呼ばれることもあります。研究者によっては、亜寒帯から亜熱帯気候まで世界の気候をコンパクトにまとめた地域であると称しています。

北部は金峰山をピークとする山岳地帯で、南部は曽根丘陵から御坂山地に続く山間地となっています。山野は平地では得ることのできない材木・薬草・水晶や金などの鉱物、あるいは大型動物などの各種資源の宝庫でありました。黒平では、松茸が特産物で「松茸運上」という名の税金を納めていたそうです。

開府500年記念事業として、本年3月には「甲府25山」が選定されました。8月10、11日に開催される「山の日記念全国大会」などのイベントでPRを行い、小冊子などを活用して、気軽な山歩きなどを進めることとしています。

日本最高峰の世界文化遺産となった富士山を取り上げてみます。甲府市は、平成18年3月1日に中道町、上九一色村北部(梯、古関区域)と合併しました。合併後の色刷りの地図を見ていて、感動しました。なんと「富士借景のまち甲府」から「富士はとなりまち」となっていました。実際は、合併の結果富士河口湖町と隣接することとなりました。富士山周辺の富士・東部圏域の2018年の観光客入込数は1,849万8千人と報告されています。片や甲府側峡中圏域の入込数は572万2千人とされています。1,200万人以上の旅行者はどこに行ったのでしょう。

富士山から北方面に振り返ると、1989年に「松本・高山・金沢国際観光ルート整備推進協議会」が発足され、現在は日本に11ある広域観光周遊ルートの一つ「昇龍道プロジェクト」の一環として、国土交通省に認定され、日本海へのルートが開けています。

しかしながら、この松本・高山・富山・金沢の国際観光ルートと、富山・愛知県一宮市を結ぶ昇龍道と、名古屋・富士箱根を結ぶゴールデンルートは、周回ルートとなりません。それは富士・東部圏域から山梨を通り松本までのルートが抜け落ちているからと考えています。

周回する観光をキーワードに、富士山から松本までの山梨県内周遊ルートを繋いでいくことは、消えた1,200万人の旅行者を富士山から日本海へと導くこととなります。この県内の周遊ルートの確立の呼びかけは、「連携中枢都市圏」形成をめざす取組として、「富士はとなりまち『甲府市』」のリーダーとしての役割と考えています。

2.水

扇状地北端の躑躅ヶ崎に開府してから、甲府城下でも美味しい水を求めて様々な工夫がなされてきたことが、記念誌にも書かれています。大正2年(1913年)に水道建設が行われ、給水が開始されました。現在甲府市は、平瀬と昭和の2つの浄水場からの水を使用しており、平瀬浄水場は荒川ダムから、昭和浄水場は昭和町の井戸から地下水(伏流水)を、中道地区は3地区に水源をもっています。県庁所在地で、複数の水源を所有している都市は珍しく、「甲府のおいしい水」として、2018・2019年モンドセレクション金賞を連続受賞しています。

甲府市は平成17年度から山梨大学連携事業として、水源の健全性を調査しています。平成30年12月「甲府市水道水涵養域の適正管理のための基礎研究調査」の報告会を開催しました。水源として、適正かつ優秀との報告を受け、今後も連携をして水源を管理保全し、またこの連携授業を通して、美しい水の供給を続けてほしいと思います。

とくに北部の水源林地域は、国立公園指定区域内にあり、6月19日にはエコパークの登録が実現した地域です。しかしながら、この豊かな水を生み出しているこの地域を知り、保全し、育てていく意識が甲府市民には薄いような気がします。その一つに、子どものころからほとんど親しむ機会が無いことがあると思います。

黒平地区には、いこいの里やマウントピア黒平など公益的な施設があり、限界集落として大型の古民家も点在しています。甲府市内の小学校の林間学校施設として整備し、甲府市の山と森林と空気と水を存分に味わっていただいたらいかがでしょうか。

「未来につなぐ」文脈の話として、甲府市はた公共施設を修繕整備して、市内小学生などの自然体験のフィールドとして活用していく方針です。

3. 商い

甲府市の近代史は、「商都」あるいは「商業都市」と形容されてきました。その基盤づくりは、まさに開府500年の歴史で、信虎・信玄・勝頼の時代だということです。八日市場や三日市場柳小路(こうじ)と連雀小路だとのことです。また金山の開発により金工房が多くあり、戦国最強とうたわれた武田軍団を支えていたといいます。

甲州金貨周辺の太鼓の皮止めに似た紋様のアイディアは、「太鼓判」という信頼のことばを全国へ生み出しています。

江戸時代から幕末にかけて、成熟した商人文化が定着し、大商人/豪商と呼ばれる人々が出て、活気あふれるまちを作り出していたとのことです。

明治初期には葡萄酒の国産第一号が登場し、同時期に東日本で初めての国産ビールが誕生しています。養蚕製糸業は160周年となる横浜港が1859年に開港を機に、大いに発展し多くの甲州財閥を生むことになりました。

もう一方、山梨県における貴金属・ジュエリー生産は全国一で、このように宝飾産業が発展してきた背景には、江戸時代から続く甲府市域の水晶採掘・研磨の伝統が支えてきたことがあります。

その後戦災をこうむり復興する中で、現在の甲府市があります。

甲府駅前南口には、駅前改修前には「宝石のまち甲府」の大看板がありました。もう一世代前には水晶の噴水モニュメントがありました。現在はどちらもありません。甲府駅に降り立つ人々の前には、「宝石のまち甲府」の姿はどこにもありません。甲府市における「宝石のまち」を育てる施策の一環として、11月に甲府駅南口に、業界の皆様と協働して「宝石モニュメント」を設置する予定とのことです。

4. 教育

山梨県と長野県は、縄文銀座と呼ばれるほど、縄文時代の遺跡が発見されています。歴史ものがたりの「湖水伝説のなりたち」では、太古の甲府盆地は湖で、南側の山を切り開いて水を落とし、豊かな平地にしたという伝説が語り継がれています。さらに私見ですが、甲斐南部氏を開祖とする東北南部藩の十和田湖にも湖水伝説として「龍の子太郎」の伝説が伝えられていると考えています。

開府500年記念事業では、「私の地域・歴史探訪」が各自治会連合会を中心に行われ、あらためて甲府への誇りと愛着を醸成しつつあると思います。甲府は信仰の厚いまちです。古くは山頂に五丈岩がそびえる金峰山信仰があり、麓に金桜神社が祀られ、9本の登る道-登拝路があったといわれています。現在でも、この登拝路を復活させようと登り続けている方々もいます。甲府市内でもいくつかの三十三か所とか三十三観音と言われる札所めぐりが残されています。七福神めぐりとか、五か寺など言われるネットワークも存在しています。

「私の地域・歴史探訪事業」の実施により、各自治会等で改めて再発見・再認識した歴史ある散策ルートやネットワークを甲府市民の財産として捉え、次の世代に繋がるようどのような具体的な取り組みを考えていく必要があります。

再発見・再認識した歴史ある散策ルートやネットワークは、まさに地域ぐるみのおもてなしとなる取り組みで、次世代の財産となるだけでなく、今後増加していくインバウント(外国人観光客)受け入れ施策としても、大変有効だと考えます。

高山市では、インバウンドの方々にまちの魅力発見、発信していただこうとする施策を進めています。

インバウンドを「お迎え」するインフラを整備していくことは必要不可欠ですが、彼らが「見たい」「体験したい」と思うところは勝手に見つけてもらおう、そしてF.BやSNSで発信してもらおうと発想して、地元の人が気づかない新たな魅力を発見してもらうことに繋がっていったとのことです。この為には、市民皆さまの「おもてなし」の心が欠かせないものと思います。

「山の都甲府」だから必要な教育として、国際的な教育が欠かせません。その心は「おもてなし」です。ユネスコスクールや国際バカロレア教育の実践校の話題もお話ししていますが、幼いころから国際感覚を養う方針が必要です。甲府市は、英語教育が小学校教育課程に導入されるのを機に、就学前のこどもたちや放課後児童クラブに、外国人教師(AET)を派遣していくとのことです。

5. まちづくり

戦国時代に甲府から他国に通じる往還として、駿河、信濃、武蔵、相模/鎌倉へ向かう10本の道が知られています。

「商い」のところで江戸時代から明治、大正、昭和、平成、そして令和時代へとにぎわいと発展が続く中、甲府のさらなる発展は明治36年に開通した中央線や、昭和57年甲府まで全線開通した中央道のおかげで、飛躍的に発展してきました。そして本年4月1日中核市「甲府市」の誕生となりました。これから市民が一丸となってまちづくりを進めるには、まちを誇りに思い愛着を持つことが重要だと思います。

市長を先頭に、甲府のまちづくりの旗を挙げていただきたいと希望しています。その旗にふさわしいのが、甲府市民憲章だと思います。昭和41年10月17日の市制施行記念日に施行され、今年で53年目を迎えます。開府500年、中核市移行のこの時期が見直しに一番良い時期と思います。甲府市自治基本条例は、平成19年6月に施行され、甲府市民の最高規範となっています。甲府市民憲章を支える理念として、自治基本条例を位置づけ、互いの見直しを提案します。

まとめ

甲府市は、人口減少とJR甲府駅周辺及び中心部とリニア甲府駅周辺部との、二極化したまちづくりを進めなくてはなりません。

「総合計画」と「こうふ未来創り重点戦略プロジェクトNEXT」の確実な推進と「総合戦略」、「人口ビジョン」のフォローアップ、今後策定される「立地適正化計画」によるコンパクト&ネットワークに、山梨県内を貫く南北の太い幹が必要だと考えています。

甲府のまちづくりは、首都圏のほうを向くだけでなく、中京圏や関西圏、そして日本海を視野に入れるべきと提案しています。

 

 

※この記事は2019年6月に開かれた甲府市議会の一般質問にて廣瀬代表が行った質問を基に作成したものです。

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