『甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡』〜水晶をキーワードに日本遺産に登録

2021年4月30日

2020年6月、『甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ~』が新たに日本遺産に認定されました。

全国的にも有名な景勝地である「昇仙峡」をはじめ、古くから信仰の対象となった金峰山五丈岩、金櫻神社の御神宝など、水晶産出地としての地形特性(渓谷、景勝)、信仰(鳥居、神社、古道)、宝飾の技、科学技術(水晶振動子など)をひとつのストーリーでつなぐ形で登録されました。

昇仙峡

日本遺産とは?

そもそも日本遺産とは、地域に点在する信仰遺構、建造物、史跡、伝統芸能などの有形、無形の遺産を地理的、時代的にストーリーとしてつなげて登録し、これを発信することで地域活性化や文化財の保全を図るものです。

世界遺産や文化財指定は、文化遺産の価値付け・保護が目的ですが、自然遺産は登録した文化財に対する規制を作ることを目的とはしていません。

自然遺産は、後世に引き継ぐべき地域の文化や伝統の「情報発信」やその保全のために「人材育成」「伝承」「環境整備」などを進めていくことを目的としています。

日本遺産『甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡』では、23の構成遺産が登録された

日本遺産『甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡』には、23の構成遺産が登録されました(23すべての構成文化財一覧は以下)。このうち、廣瀬の地元である湯村にゆかりある2点の構成遺産について、ここでご紹介。

塩澤寺地蔵堂

地元では『厄地蔵(やくじぞう)さん』と言われ親しまれる塩澤寺は、山梨県甲府市にある真言宗智山派のお寺です。808年、弘法大師(空海)が開山したのが塩澤寺のはじまりと伝えられています。

今回日本遺産に登録された塩沢寺地蔵堂はすでに国指定重要文化財にも登録されており、地蔵堂に納められている高さ1.5mの石彫りの本尊(地蔵菩薩坐像、県指定文化財)は室町時代に弘法大師を模して彫られたと記録されています。

1643年(江戸時代)には、良純親王(御陽成天皇の第八皇子)が湯村に幽閉されていましたが、良純親王は地蔵尊を拝し、現在に続く祭礼を当時盛んにしたとされます。今も毎年2月には祭礼が行われ、地元や県内の参拝客で賑わいます。

空海に端を発し歴史を辿れる塩沢寺は、現在も県内外からの参拝者が後を絶ちません。

地蔵堂
塩澤寺地蔵堂

塩澤寺地蔵堂の場所

湯谷神社

山梨県甲府市湯村にある神社で、湯谷大権現(湯村温泉郷の守り神様)、大宮さん、秋葉権現(火伏の神様)が祀られています。

808年、空海により開湯され、志麻の湯として、いにしえより親しまれてきた湯村。湯谷大権現は1601年の検地帳(広瀬家の古文書)にもすでに記載があることから、湯谷神社は古くから社として祀られてきたことがうかがえます。

 湯谷神社の場所

湯谷神社(甲府市湯村)(甲府市HPより)

日本遺産『甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡』、23の構成遺産一覧

1.御嶽昇仙峡(甲府・甲斐)
2.燕岩岩脈(甲府)
3.金峰山五丈岩(甲府)
4.能面(甲府)
5.住吉蒔絵手箱、家紋散蒔絵手箱(甲府)
6.筏散蒔絵鼓胴、武具散蒔絵鼓胴(甲府)
7.金櫻神社大々神楽付面と衣装(甲府)
8.旧金櫻神社石鳥居(甲斐)
9.御嶽古道(亀沢)の石造物群(甲斐)
10.御嶽古道(甲斐)
11.旧羅漢寺の遺構(甲斐)
12.木造五百羅漢像(甲斐
13.木造阿弥陀如来坐像(甲斐)
14.御嶽道祖神(甲府)
15.金櫻神社摂社・白山社(甲府)
16.長田円右衛門顕彰碑(甲府)
17.金櫻神社の御神宝(甲府)
18.塩澤寺地蔵堂(甲府)
19.湯谷神社(甲府)
20.平瀬浄水場登録文化財6件(甲府)
21.黒平の能三番(甲府)
22.炭焼窯跡(甲府)
23.白輿(甲斐)

昇仙峡観光協会(https://www.shosenkyo-kankoukyokai.com/日本遺産認定「甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡」/)

くわしく知るには、以下の昇仙峡観光協会の解説ページがおすすめです。写真付きで解説されています。

構成する文化財23件を紹介しています

山梨甲府、水晶の歴史

甲府北部で産出された水晶。

その歴史は古く、黒平(くろべら)鉱山、乙女鉱山、向山鉱山などの水晶採掘場がすでに江戸時代にあったことが分かっています。(現在は採掘禁止)

黒平鉱山・・・まれに紫水晶も産出した。薄茶色から黒色水晶(煙水晶)も産出。

乙女鉱山・・・日本式双晶が産出。

向山鉱山・・・草入り水晶が産出。透明度の高い水晶が特徴。

また、水晶を加工して装飾品や眼鏡を作る『水晶細工所』も現れ、その一つ『土屋宗助店』(現 土屋華章製作所)は創業1821年、なんと200年続く細工所。当時の帳簿(どんなお客さんに何を売ったかの記録)が今も保管されており、そこには、武家や一般庶民(富裕層)、お寺、外国人などに、水牛の角や心中などのフレームでできた眼鏡(レンズは水晶やガラス)や水晶の印鑑、数珠などさまざまな水晶装飾品を売っていたことが記録されています。

さらには、1826年には、高さ70cm、重さ150kgの巨大な水晶が採れ、徳川将軍に献上される運びとなった、という記録も残っています。

出典:こうふ開府500年記念誌「甲府歴史ものがたり」

当時の甲府には、「水晶鉱山で働く人」や「水晶や付属品の加工を行う職人」、また「水晶や水晶細工品を買い求める人たち」など、水晶が結ぶひとの道ができていた様子がうかがえます。

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